すずめの戸締まり感想

すずめの戸締まりを見た!

すずめの戸締まりを見た!

 

〜以下、感想〜

■事前情報

いつもそうだが映画とかゲームを見る前は全く事前情報を見ないし意図的にシャットアウトしていくので、正直あらすじも全く知らないまま見た。

まさか全く震災の話だと思ってなかったので日記に3/11って書いてあったときに震えに震えた。あ、あ、あーーーそういうことね。

 

■すずめ

映画見る前はちょっとデザイン微妙かな……?と思ってたけど映画のすずめちゃんマジでめっちゃ可愛かった。すき。

ただやっぱキャラデザはキャッチーではなかった気がする。いい映画だけにもったいない。

 

■草太

完全に同上。映画で動いてるの見るとめっちゃいいんだけど公開前の絵とかだとなんかイマイチというか今風じゃないというか。

 

■芹沢

まじでこの作品イチのいいヤツ。何なら新海作品通して一番いいヤツじゃない?

・噓ついた闇深すずめちゃんと闇深おばさんを車に乗せて東北へ旅に出る

・猫も乗せる

・深まる闇をものともせず常に明るく振る舞う

・追加で猫も乗せる

・大破するアルファロメオ

・田舎で車ごと放置される

・これだけの仕打ちに対してむしろ一人爆笑

現人神か何か?一番の要石候補こいつだろ。されなくて本当に良かった。

 

■被災者目線

個人的には新海作品の中で一番良かったしめっちゃ泣いた(どこで泣いたかは後述)

ただ見ながら少しハラハラしてもいた。というのも嫁が被災者だったのでトラウマ蘇ったりしないか大丈夫かと。こっちは全く調べないで来てたから連れてきてすまん的な意味で冷や汗だった。

嫁もめっちゃ良かったし泣いたけど2回目は多分見れないって言ってた。地震の日の夕焼けの景色があまりにリアルすぎて思い出してしまうと。そりゃ人によってはこれマトモに見れないよな……

 

■親目線

後半すずめちゃん(4歳)が泣きじゃくりながらすずめちゃん(16歳)に「お母さん知りませんか…!」って捲し立てるシーンが本当に無理だった。自分の子供がこんなふうになったらとか考えたらもう本当に直視できないレベル。だからすずめちゃん死ぬのなんか怖くないとか平気で言ってたのか……

 

■エンディング

ハッピーエンドで良かった。私が要石になるとか言い出したときはマジでどうなることかと思った。

 

■音楽

今回はそこまで印象に残るものはなかったけど良かった。ただ個人的にはグランドエスケープが演出も相まって最強すぎて今後これ超えるレベルのものが出てくる気がしないなぁ。

 

 

■総評

天災を避けきるのは難しいからせめて健康だけでも気をつけて子供を悲しませることないようにさっさとアーリーリタイアしたい。

ゆるキャン映画感想

ゆるキャン映画めっちゃ良かったので感想書きます。なお映画見た前提で書くので見てない人は見ましょう。

【感想】
<全体>
「可愛い女の子がきゃっきゃしながらキャンプ場作って良かったね」、みたいなものを期待していくと思いの外心にダメージを受ける。社会人5年目以内で見てたら直視できなかったかもしれん。今は守るものがある身だから耐えられた。
仕事とは。大人とは。やりたいこととは。
映画特有のほんわかアニメにすら入ってくるテーマ性がうだつの上がらないサラリーマンたちに襲いかかる。
誰か仕事辞めてそう。

<なでしこ>
毎回思うけどめちゃくちゃいい子だよねなでしこ。アホの子成分が映画だとあんまりなくて余計にめっちゃいい子に磨きがかかってた。個人的にはなでしこが一番大人だと思う。
あとどうでもいいけどキャンプ好きの中に一人こういう料理好きがいるとめちゃくちゃ捗るのでみんなも料理好きをキャンプ沼に落とそう。

<リン>
冒頭ちょっとスレてしまったのではと不安になったけど何のことはなくただのいい職場で安心した。
職場に徹夜で残るのってランナーズハイになって楽しいよね。

<千明>
冒頭1分で髪型変えた千明可愛すぎて震えた。俺は知ってたよ一番美人なのは千明だって。

<あおい>
で、デケぇ……夏の映像のときなんか凶器だろ。あんなのいたら仕事にならんわ。

<恵那>
元々声とキャラデザ一番好き(映画冒頭の千明に抜かれるまでは)
ちくわが少し弱ってる描写を何回も挿し込んでくるせいで終始死別ネタに怯える羽目になった。

<アフロ>
うまるのアフロと大違いの有能。
声が藤原啓治に似てて最初驚いた。利根健太朗さんって言うんですね。

<若さ>
ショベルカーの講習受けてきたり何回も名古屋から山梨までバイクで帰ったり歳を取るとなかなかそんな簡単に大変なこととか新しいことやれないよおじさん……若いっていいなぁ。ついにこのセリフを使う歳になってしまったんだなぁ。
でも名古屋から山梨までタクシーで帰るのは若さに過ぎる。

<寂しいわぁ……なんちゃって>
気づいた上で気づいてないふりする千明さんパないっすわぁ。

<大人でも何でもできるわけじゃないんだね>
急に核心をついてくるな、心にダメージ負ったわ。なでしこは本当にかしこいなぁ。

<完成したキャンプ場>
ちょっと泣いた。

甘々と稲妻11巻感想

甘々と稲妻11巻出てからもう1週間経ったし感想垂れ流そうかと思ったけど長くなりそうなのでブログに書くことにしました。1個下の記事が2012年(エヴァ急の感想)なあたり、いかに社畜生活が人を変えてしまうかよく分かりますね。未だにエヴァ次回作始まらないんですが僕タイムリープしてるんですかね?

いや個人的に本当に良かったんですよ11巻。すごいと思ったのが2つあってですね。まず1つ目は小鳥ちゃんの告白。こういう漫画の命題だと思うんですよね、ヒロインと主人公の恋心にどうやって決着をつけるかというのは。そうだよな高杉?(*1)それがもうなんとも見事に表現したわけです。最後の「もっと複雑なの」って言いながら笑顔で泣くことりちゃん見たとき胸打たれましたね本当に。犬塚先生への淡い恋心は確かにあったと思う、でもつむぎちゃんも好きで、みんなでご飯を作ることが好きで、みんなでご飯を食べるのも好きで、どれもが本当の気持ちで。卒業という節目に対して自分の気持ちに向き合って真剣に考えたからこそ、ストレートな好き、じゃなくてあの告白に繋がったんだと思うんですよ。そして先生もことりちゃんの精一杯の告白にしっかりと正面から答えたんですよね、あのときの先生は本当にこれまでで一番先生だったし大人の尊敬できる人間だった。分かるか高杉?(*2)
そしてもう1つのすごいところが、これ最終巻じゃないんですよ。しかもたったの1話で終わらせたの。あくまで三人でご飯を囲む姿こそが甘々と稲妻であって、この漫画が伝えたいのは最初から変わらないんだなってのが分かる。本当に作者がこの漫画のテーマというものを大切にしているんだなーというのも伝わってきて本当にうれしい。こういうところだぞ高杉?(*3)
あと1巻で終わってしまうのが本当に悲しいけれど、区切りをつけるならここしかないというのも痛いほど分かるので、1つの作品として最後まで本当に楽しみです!

*1 知らんぷりしてるドロップも同罪だぞ。
*2 お前4年間逃げたよな?
*3 後半お弁当どこいったんだよ。

エヴァンゲリオンQ 感想

〜14年ぶりの律動〜

今回はまさに「Q」にふさわしい展開だったといえる。
旧劇場版から14年、様々な憶測や想像、議論は響きあう波紋のように
大きなうねりを作り続けてきた。
そのストリームの爆心地でリズムを刻み続けてきた最大の謎。
「何故リツコは太鼓を叩いたのか」
その謎が再び僕らに提示された形となった。
14年ぶりに再び撥(バチ)を取ったリツコ。その意味とは。

you can (not) redo.

覚醒するエヴァンゲリオン
終る世界の中で、それぞれのキャラクターたちがそれぞれの結末へと動き出す。
只々絶望に打ちひしがれるシンジ。
シンジのために覚悟を決めるカヲル。
それでも諦めないアスカやミサトたち。
そして再び和太鼓の前に立ったリツコ。
旧劇場版と明らかに異なる展開、世界の中で、
何故リツコだけはもう一度バチを取ったのか。

まず着目すべきは副題である「(not) redo」だ。
今度こそ君を幸せにする、前作からの「not redo」のためにredoを目指したカヲル。
今度こそ世界をやり直す、前作からの「not redo」のためにredoを目指したシンジ。
今度こそ崩壊を止める、前作からの「not redo」のためにredoを目指したミサトたち。
そして、前作からの「redo」のためにredoを拒む世界。
このようにそれぞれのキャラクターたちの行動は「not redo」のための
redo」であった。

しかし撥を取ったリツコの行動だけは世界と同じく「redo」のための「not redo
であったように見受けられる。
リツコの真意、立ち位置を見極めるためにはもう少し深い議論をしなければならない。

〜alone, advance, redo

副題をおさらいして、Qまで見るとよくわかる。
(not) alone
(not) advance
(not) redo
破まで見れば、エヴァを「not alone」なシンジの「advance」な物語だと
とらえた人も多かったであろう。
しかし実際は「not alone」であったが故「not advance」で「not redo」であった。
つまり何も成すことはできていなかった。
それに対して和太鼓を叩き続けたリツコの行動は
「alone」であり「redo」であった。
全員がバッドエンドへの収束を避けようとし、進歩せず朽ち果てていく中で
リツコだけは「advance」を目指していたのだ。

たった一人、孤独に、キャラクターたちからも、観客である僕らからも
見放されながら。
それでも彼女は太鼓を叩き続けたのだ。
ただ一人、太鼓と向き合い。世界と向きあい。
叩き続けたのだ。
ミサトの様に潔く生きることも、
シンジの様にうずくまることもできなかった
弱い女だったはずのリツコが、
髪を切り、女を捨て、男も捨て、
ただ一人戦い続けていたのだ。叩き続けたのだ。
戦っていたのだ。redoを目指していたのだ。

〜序、破、Q、そして〜

ファンサービスでもなければ前作のオマージュでもない。
再構成される世界の中で、それでも収束するバッドエンドへの急展開。
14年という年月を経て成長した僕ら、今なら分かるだろうか。
これは庵野監督から、リツコを通しての僕らへの「Question」であり
「Quickening」であり「Qualifying」だった。

願わくば、シン・エヴァンゲリオンにて
リツコが撥を持たずに生きていける世界が訪れることを。

高杉さん家のおべんとう

〜離れてても、おなじもの食べてる。〜

最近読んであまりにも面白かったんで
つらつらと紹介のような感想のような妄想のようなものを書きますよ。

まずはあらすじ。

主人公は30を過ぎたオーバードクター、高杉温巳(はるみ)。
博士課程を取ったものの就職がうまくいかず人生はがけっぷち。
彼女もおらず一人悶々と日々を過ごす、冴えないを地で行く男。
そんな温巳の元に突然ある事件が起こる。
姉弟のように仲良くしていた伯母の訃報と、ある一つの遺言。
それは自分の中学生になる娘を引き取ってほしいというものだった。
娘の名前は久留里(くるり)。
口下手で引っ込み思案な久留里と、冴えない温巳。
不器用な二人の共同生活が始まる。

というもの。
ここまで聞くと「うさぎドロップ」とか「パパの言う事を聞きなさい」
に設定が近いものがあるかもしれないですね。
(どっちもあらすじ聞いたくらいの知識しかないですが)

ただこの漫画にはいろいろ他にない(だろう)
面白いところが本当にいろいろあるんです。

まずは話の主軸に「おべんとう」や「ごはん」があるところ。
冒頭にも書いたけれど、おべんとうっていうのは深いんですよね。
作ってすぐに食べるわけじゃない。ただ作るだけじゃない。
いつだって作るときは食べてくれる相手のことを考える。
どんなものが食べたいか、どんなときに食べるのか。誰と食べるのか。
今日はどんな天気なのか。暑いのか。寒いのか。
そしてときには自分の思いも乗せたりする。
ごめんなさい、とか、おめでとう、とか、がんばって、とか元気出して、とか。
そんなたくさんのことを考えて、ちいさな箱の中にギュッと入れる。
そうやって相手のことを考えると、少しだけ相手のこともわかってくる。
少しだけ相手にわかってもらえる。

ごはんだってそうで、
どんなに喧嘩しても、気まずくても、
毎日ご飯を作って、一緒に同じご飯を食べる。
それってよくよく考えると家族にしかできないこと。
向かい合っていただきますしてご飯を食べる。
相手のことを見る時間です。

食事っていうのは生きていく上で一番大事なものだと思う。
だからこそ本当に色々と相手のことがわかる。
例えばこの漫画だと、久留里ちゃんは特売セールにまっしぐら。
少しでも安いもの、オトクなものを買うことに夢中。
方や温巳は今まで食堂やコンビニで済ませてばっかり。
とりあえず買えればいいか、みたいな考えしかない。
料理を作る前ですら二人の考えはこれだけ違う。

お互いにどう接すればいいのか分からない二人にとって、
ごはんやおべんとうを一緒に作るってのは
非常に重要なコミュニケーション手段になります。
温巳は久留里のために、久留里のことを考えながらお弁当を作る。
久留里は温巳のために、温巳のことを考えながらご飯を作る。
相手のことを知ろうとする、相手のことを考える。
二人とも料理が得意なわけじゃないので、ときには失敗して、
ときには四苦八苦しながら一緒に作っていく。
そういうやりとりを重ねながら、よたよたと二人が家族になっていく様が、
原石をゆっくり、ゆーっくり磨いてキラキラにさせていくように、
本当に愛おしく思えて仕方ないんです。

そして次に温巳が地理学の研究者である点。
地理学では、気候や土地柄、風習や民族などの
地域、そして人の作る環境を考えていきます。
ただのデータや数字だけではない、人の想いみたいなものが
研究の要素に密接にかかわってきます。
どうして人はそこに住むのか、そこから去っていくのか。
自分の知らない場所で久留里はどう生きてきたのか。
久留里の知らないところで自分はどう生きてきたのか。
そんな視点からも物語は語られていきます。

そしてなにより、いやもうこれ本当にすごいのが

とにかく久留里がかわいい。

絵がかわいいとか見た目がかわいいとかじゃない。
女の子として久留里という存在ががあまりにもかわいい。
久留里は最初こそ温巳に冷たくしたり、つっけんどんな態度を取ったり、
おとなしくて無口な子だと勘違いされそうにもなるんですがそうじゃない。
それは彼女がコミュニケーション下手なだけ。
久留里は本当に健気に、一生懸命に、彼女なりに頑張るんです。
温巳に初めて作ったおべんとうがちゃんと全部食べられてるのを
確認して満面の笑顔になったり、
温巳の帰りが遅くなると、電話の連絡をひたすら待ちつづけて、
お風呂に入るときなんてわざわざ家の電話を風呂場まで持っていったり、
温巳の名前を呼ぶ勇気がなくて、クリスマスの日のおべんとうに
顔真っ赤にしながら「ハルへ」って書いてみたり。
とにかくしぐさや表情、ひたむきさがむちゃくちゃにかわいいです。
地上に降り立った天使。エデンは家の中にあった。
久留里ちゃんが笑顔になるとそれだけで読んでるこっちも
ほほが痛くなるくらいにやけてしまいます。
その瞬間に鏡見せられたら多分僕は死ぬ。
そして徐々に友達が増えたり、新しいことに挑戦したり、
そうやって成長していく彼女を見ていると本当にもうたまりません。
ゆっくりとだけど、少しずつ大人になっていく彼女。
最新刊まで読んで1巻に戻ると、久留里ちゃん大人になったねって思える。


でも久留里ちゃんとの生活も楽しいことばかりじゃなくて、
温巳は久留里のためにいろんなことをしてあげようとしますが
うまく行かずに四苦八苦。
久留里も苦手な人間関係や新しい生活に四苦八苦。
辛いことや大変なこともいっぱいあります。
この漫画がすごいのは、そういったところをただ悲しい出来事として
見せるんじゃなく、それでも家族はいいよね、と
明るく前向きに描いてることです。
色々なことがあっても、久留里がいるから、温巳がいるから。
家族がいるから、頑張って生きていけるよ。
そうやって一緒に成長していく二人が本当に素敵です。
家族っていいよね、本当に心からそう思える漫画だと思います。

この漫画を読んでいて強く思ったのは
「幸せはすぐ手の届くところにあるけれど、
一人では届かないくらいに、ちょっとだけ遠くにある」
のかなということ。
人生には本当にいろいろなことがあって、
辛いことも、嬉しいことも、本当にいろいろある。
だけど、それら全部ひっくるめて「幸せだな」と思うことだけは
きっと一人ではできないんだろうなと。
自分が心から向かい合える相手がいて。
遠い未来なんかじゃなくていい。
今は明日のことだけでもいい。
目の前の一歩を、一緒に歩いていく。
ちょっとだけ未来にあける、「おべんとう」に思いをのせて。
家族っていいよね。
僕も結婚したいです。

この漫画はきっと、親と子でも、男女でもなく
二人の「家族」の幸せな物語。そんな風に思いました。

結婚したいです。

漁師と旅行者の会話

この話、昔は笑って見れたけど今は笑えない。

メキシコの田舎町。メキシコ人の漁師が小さな網に魚をとってきた。その魚はなんとも生きがいい。
それを見たアメリカ人旅行者は「すばらしい魚だね。どれくらいの時間、漁をしていたの?」
と尋ねた。 すると漁師は「そんなに長い時間じゃないよ。」
と答えた。旅行者が「もっと漁をしていたら、もっと魚が獲れたんだろうね。おしいなあ」
と言うと、 漁師は、自分と自分の家族が食べるにはこれで十分だと言った。
「それじゃあ、あまった時間でいったい何をするの」
と旅行者が聞くと、漁師は、
「日が高くなるまでゆっくり寝て、それから漁に出る。戻ってきたら子どもと遊んで、女房とシエスタして。 夜になったら友達と一杯やって、ギターを弾いて、歌をうたって…ああ、これでもう一日終わりだね」
すると旅行者はまじめな顔で漁師に向かってこう言った。
「ハーバード・ビジネス・スクールでMBAを取得した人間として、きみにアドバイスしよう。
いいかい、きみは毎日、もっと長い時間、漁をするべきだ。
それであまった魚は売る。お金が貯まったら大きな漁船を買う。
そうすると漁獲高は上がり、儲けも増える。
その儲けで漁船を2隻、3隻と増やしていくんだ。
やがて大漁船団ができるまでね。
そうしたら仲介人に魚を売るのはやめだ。
自前の水産品加工工場を建てて、そこに魚を入れる。
その頃にはきみはこのちっぽけな村を出てメキソコシティに引っ越し、ロサンゼルス、ニューヨークへと進出していくだろう。
きみはマンハッタンのオフィスビルから企業の指揮をとるんだ。」
漁師は尋ねた。「そうなるまでにどれくらいかかるのかね?」
「20年、いやおそらく25年でそこまでいくね。」
「それからどうなるの?」
「それから? そのときは本当にすごいことになるよ。」
と旅行者はにんまりと笑い、
「今度は株を売却して、きみは億万長者になるのさ。」
「それで?」
「そうしたら引退して、海岸近くの小さな村に住んで、日が高くなるまでゆっくり寝て、日中は釣りをしたり、子どもと遊んだり、奥さんとシエスタして過ごして、
夜になったら友達と一杯やって、ギターを弾いて、歌をうたって過ごすんだ。
どうだい。すばらしいだろう?」

どうすれば四天王系イベントは面白くなるのか

1.四天王系イベントとは

まず、四天王系イベントについて定義させてもらう。

四天王イベント:
「〜〜のために四天王を倒さなければならない」といった類の、
同系列のイベントを複数回プレイヤーに強制するイベントの総称。
これは何も四天王に限った話ではなく、たとえば
「四大精霊に会え」「三種の神器を集めろ」「6大魔王を集めろ」
といったものも含まれる。


2.ユーザのデメリット、製作者のメリット。

さて、この四天王系イベントのユーザに対するデメリット、
および製作者に対するメリットを述べる。

まず、ユーザに対するデメリットとしては、
①同じことを何度もやらされている退屈感
②数字が見えていることによる作業感
が挙げられる。他にもあるかもしれない。
すなわち、「今3匹倒したからあと3回同じことをやるのか」
「えー、今から4回似たようなことをやるの?」
というダルさである。

逆に製作者側のメリットについて述べる。
①テンプレートの使い回しが可能
②ボリュームの水増しが容易
③モジュール的な考え方ができる
この3点かと思われる。他にもあるかもしれない。
すなわち、ちょっと設定を変えるだけで
シナリオなどの展開を強く捻る必要もなく、
しかもその部分のシナリオをいじっても全体に全く影響のない、
そういう似たようなイベントをぽんぽん作れるのだ。

たとえば、4大精霊を考えてみると
[大筋の流れ]→{精霊イベント→{精霊1のイベント}→{精霊2の〃}
→{精霊3の〃}→{精霊4の〃}}→[大筋の流れ]

この様な流れにおいて、精霊1〜4のイベントはそれぞれが
シナリオ的に独立、またゲーム本筋からも独立しており、
最悪別にこれらのイベントはごっそりなくてもいい。
非常に柔軟性を持たせることができる。
作る側にとって大きなメリットがあると考えられる。
ってか僕はそうだった。
こういうイベントも考えたけど時間ないし省くか、だとか
もうちょっとボリュームを持たせたいな、とシナリオ側から考えたとき
非常に融通が利くしさくっと作れてしまうのは大きい。


3.どうすれば四天王系イベントは面白くなるのか

とはいえ、それは製作者側のエゴであり
それをユーザーに押し付けるのはいいことではない。
そこで、四天王系イベントを使う場合は
ユーザーに「四天王系イベントを苦に思わせない」
あるいは「四天王系イベントと意識させない」
配慮が必要だと考えられる。
ここでは、適当な例を挙げてその部分について触れる。

個人的に四天王系イベントを苦にさせない演出で
上手いなと思っているのはロマサガ2のフリーシナリオシステムである。
何がすごいかというと、これら四天王系イベントと他のイベントを
「完全に同列に置く」ことでユーザに大きな自由度を与えた点である。

これが通常のゲーム内における四天王系イベントであるのに対し

フリーシナリオシステムではこのように完全に他のイベントと
同列の扱いをしている。
四天王系イベントを全てこなさないとクリアはできないが、
クリア以外のことならできてしまうのである。
この点でユーザは作業感を感じることなくプレイできている。

余談だが自身のサークルで作ったNMR(http://shop.melonbooks.co.jp/shop/sp_213001009799_ycubed_nmr.php:あ、好評委託中なんで買ってね☆
というADVゲームではこれに似たような形で
四天王系イベントを入れることにした。
すなわち、掘るという大前提の中で、他のアイテムと
四天王系イベントのアイテムをほぼ同列に扱った。
結果的に上手く転んだのかはあんまりよく知らない。
誰か四天王系イベントだと思ったりだるさ感じた人いたら教えて。

次に、四天王系イベントを意識させない方法については
四天王系イベント自体を隠してしまうことが考えられる。
すなわち、「後から考えてみれば四天王系イベントだったね」という
感じにしてしまうのである。
これのメリットは、あまり複雑なことを考えなくても
わりと簡単に実現できる点であり、
デメリットは「気付かれるまでしか意味がない」ということである。

(あ、こっから軽いシュタゲネタバレ入ります、8章までのネタバレ)
















たとえば今僕がやってるシュタインズゲートでは
未来を変えるために仲間たちが変えた過去を1つずつ元に戻す
という展開が途中で入っている。
最初は特に「未来を変えるためにメンバー全員分同じことを繰り返すよ!」
などとは言わずに四天王系イベントにさらっと入っていったのでよかったが、
途中で僕は気付いてしまったので
「あ、これを全メンバー分繰り返すのか……」と思ってて
今すごいやる気が減っている。
このように「ユーザにいかにバレないか」が隠すときには重要であるため
こちらはこちらでそれなりに難しい気もしてくる。

4.結論

四天王系イベントはやはりどう頑張っても水増し、あるいは
作業感を感じさせてしまうものであるためにできれば除きたいし、
一ゲームプレイヤーとしても大変除いてほしい。
しかし製作者側にとっては非常に便利で頼りになる存在である。
そのため、いかにしてユーザが四天王系イベントを苦痛に感じないように
するかが使用時のもっとも重要な点だと思う。